−1999年の『野坂惠子箏リサイタル』で発表した小冊子【二十五絃箏について】から−


「プラス5本」 私の二十五絃メモから

中島隆
琴光堂和楽器店

二十絃箏製作から22年経った1991年(平成3年)初め頃、野坂惠子先生より
「かねてより使ってきた二十絃箏(二十二絃)を二十五絃箏にして欲しい」と依頼があった。
音楽家、演奏家の音楽に対する限りない追求と表現がこれ迄より更に拡がった…

十三絃箏から二十絃箏への時とは違い、少しは冷静にこの要望を受け止める事は出来ました。
しかし、プラス5本は勿論そんな簡単な問題ではなく、試作的に先生が大切に使っている“津軽”を改良する事から始まりました。
“津軽”は元々二十二絃にしてあり、これを二十三絃に、そして二十五絃にと修理改良することが出来ました。

この修理改良を基に、新しい二十五絃箏へ本格的な取り組みが始まりました。

先ず最初に甲材です。
これ迄二十絃箏用に確保、乾燥させている材料が使えるのか、使えないのか。
大変大きな問題から乗り越えなければいけませんでした。
これは、糸幅を狭くすること、甲のアールを高くすること、枕角の形状、高さを変えること、等々のことで々甲材を使うことに落ち着きました。
しかし、無論この事によって起こる問題点がない訳ではありません。
音量のこと、演奏会のこと…不安材料は隠せませんが、とにかく創作してみようと決めました。

先生はいつもステージの上で自分の音楽を表現する。
そのための楽器が、その表現出来得るのに応えられるか否か。
言葉を換えればその結果だけが総てであって、制作上の問題他の人の意見には耳を傾けない位、
納得満足する楽器の完成を実現するために、その注文は微に入り細に入り執拗で、
その気迫に押されるように私も全精力をこの二十五絃箏に注ぎ込んできた。
竜角ひとつでもその高さを1mm違いで10本のものを作り、絃の太さを根本的に見直して変え、
糸締めも特に二十五絃箏用の新しい方法を自分なりに工夫してみました。

今年は二十絃箏製作30周年を迎えているが、あの30年前の野坂惠子先生の音楽と楽器への思い入れは今も少しも変わらず、
その熱意と愛情に私自身もその総てを注ぎ込んでこの二十五絃箏にこれからも取り組んでゆきたいと思っている。

それは、野坂惠子という素晴らしい音楽家と共に成長する楽器と思うから…

そして、都立大学で二十五絃箏の音響テストをしている時、ふと口にされた言葉が、本当は正直に物語っているのかもしれないと思った。
「私達のこの思い入れは、次世代の人のためかもしれないわね!」と。






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